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自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛り出したり、へっついの中へ押し込んだりする。
しかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものなら家内総がかりで追い廻して迫害を加える。
この間もちょっと畳で爪を磨いだら細君が非常に怒ってそれから容易に座敷へ入れない。
台所の板の間で他が顫えていても一向平気なものである。
吾輩の尊敬する筋向の白君などは逢う度毎に人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。
白君は先日玉のような子猫を四疋産まれたのである。
ところがそこの家の書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。
白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等猫族が親子の愛を完くして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅せねばならぬといわれた。
一々もっともの議論と思う。
また隣りの三毛君などは人間が所有権という事を解していないといって大に憤慨している。
元来我々同族間では目刺の頭でも鰡の臍でも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。
もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて善いくらいのものだ。
しかるに彼等人間は毫もこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等のために掠奪せらるるのである。
彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきものを奪ってすましている。
白君は軍人の家におり三毛君は代言の主人を持っている。
吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。
ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。
いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。
まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。
我儘で思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこの我儘で失敗した話をしよう。
元来この主人は何といって人に勝れて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがる。
俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝ったり、謡を習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。
その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。
後架の中で謡をうたって、近所で後架先生と渾名をつけられているにも関せず一向平気なもので、やはりこれは平の宗盛にて候を繰返している。
みんながそら宗盛だと吹き出すくらいである。
この主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んでから一月ばかり後のある月の月給日に、大きな包みを提げてあわただしく帰って来た。
何を買って来たのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日から謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた。
果して翌日から当分の間というものは毎日毎日書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。
しかしそのかき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。
当人もあまり甘くないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっている人が来た時に下のような話をしているのを聞いた。
「どうも甘くかけないものだね。
人のを見ると何でもないようだが自ら筆をとって見ると今更のようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐である。
なるほど詐りのない処だ。
彼の友は金縁の眼鏡越に主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりで画がかける訳のものではない。
昔し以太利の大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。
画をかくなら何でも自然その物を写せ。
天に星辰あり。
地に露華あり。
飛ぶに禽あり。
走るに獣あり。
池に金魚あり。
枯木に寒鴉あり。
自然はこれ一幅の大活画なりと。
どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」
「へえアンドレア・デル・サルトがそんな事をいった事があるかい。
ちっとも知らなかった。
なるほどこりゃもっともだ。
実にその通りだ」と主人は無暗に感心している。
金縁の裏には嘲けるような笑が見えた。
その翌日吾輩は例のごとく椽側に出て心持善く昼寝をしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩の後ろで何かしきりにやっている。
ふと眼が覚めて何をしているかと一分ばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトを極め込んでいる。
吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。
彼は彼の友に揶揄せられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。
吾輩はすでに十分寝た。
欠伸がしたくてたまらない。
しかしせっかく主人が熱心に筆を執っているのを動いては気の毒だと思って、じっと辛棒しておった。
彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩っている。
吾輩は自白する。
吾輩は猫として決して上乗の出来ではない。
背といい毛並といい顔の造作といいあえて他の猫に勝るとは決して思っておらん。
しかしいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人に描き出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。
第一色が違う。
吾輩は波斯産の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆のごとき斑入りの皮膚を有している。
これだけは誰が見ても疑うべからざる事実と思う。
しかるに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色でもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。
ただ一種の色であるというよりほかに評し方のない色である。
その上不思議な事は眼がない。
もっともこれは寝ているところを写生したのだから無理もないが眼らしい所さえ見えないから盲猫だか寝ている猫だか判然しないのである。
吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア・デル・サルトでもこれではしようがないと思った。
しかしその熱心には感服せざるを得ない。
なるべくなら動かずにおってやりたいと思ったが、さっきから小便が催うしている。
身内の筋肉はむずむずする。
最早一分も猶予が出来ぬ仕儀となったから、やむをえず失敬して両足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあと大なる欠伸をした。
さてこうなって見ると、もうおとなしくしていても仕方がない。
どうせ主人の予定は打ち壊わしたのだから、ついでに裏へ行って用を足そうと思ってのそのそ這い出した。
すると主人は失望と怒りを掻き交ぜたような声をして、座敷の中から「この馬鹿野郎」と怒鳴った。
この主人は人を罵るときは必ず馬鹿野郎というのが癖である。
ほかに悪口の言いようを知らないのだから仕方がないが、今まで辛棒した人の気も知らないで、無暗に馬鹿野郎呼わりは失敬だと思う。
それも平生吾輩が彼の背中へ乗る時に少しは好い顔でもするならこの漫罵も甘んじて受けるが、こっちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立ったのを馬鹿野郎とは酷い。
元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。
少し人間より強いものが出て来て窘めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。
我儘もこのくらいなら我慢するが吾輩は人間の不徳についてこれよりも数倍悲しむべき報道を耳にした事がある。
吾輩の家の裏に十坪ばかりの茶園がある。
広くはないが瀟洒とした心持ち好く日の当る所だ。
うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出て浩然の気を養うのが例である。
ある小春の穏かな日の二時頃であったが、吾輩は昼飯後快よく一睡した後、運動かたがたこの茶園へと歩を運ばした。
茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝ている。
彼は吾輩の近づくのも一向心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きな鼾をして長々と体を横えて眠っている。
他の庭内に忍び入りたるものがかくまで平気に睡られるものかと、吾輩は窃かにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかった。
彼は純粋の黒猫である。
わずかに午を過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上に抛げかけて、きらきらする柔毛の間より眼に見えぬ炎でも燃え出ずるように思われた。
彼は猫中の大王とも云うべきほどの偉大なる体格を有している。
吾輩の倍はたしかにある。
吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立して余念もなく眺めていると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐の枝を軽く誘ってばらばらと二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。
大王はかっとその真丸の眼を開いた。
今でも記憶している。
その眼は人間の珍重する琥珀というものよりも遥かに美しく輝いていた。
彼は身動きもしない。
双眸の奥から射るごとき光を吾輩の矮小なる額の上にあつめて、御めえは一体何だと云った。
大王にしては少々言葉が卑しいと思ったが何しろその声の底に犬をも挫しぐべき力が籠っているので吾輩は少なからず恐れを抱いた。