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ヨーロッパの中でも観光地として名高い場所は。 | ドイツ |
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ヨーロッパ大陸でディプロマは何と表記されることが多いか。 | ディプローム |
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ヨーロッパ大陸で広くディプロームと表記されるのは | ディプロマ |
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QCFレベル7と等価とされるのは | ポストグラデュエート・ディプロマ |
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修士課程への進学資格としてディプロマのことを何というか。 | グラデュエート・ディプロマ |
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イギリスなどでは、修士課程への進学資格で与えられるのは何か | グラデュエート・ディプロマ |
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イギリスなどで多くの大学が授与している、修士課程への進学資格としてのグラデュエート・ディプロマや、修士課程から修士論文のみを省いた、研究以外の大学院レベルでの修業を証明する為のものは何か | ポストグラデュエート・ディプロマ |
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ディプロマを日本語に当てはめると? | 専門士 |
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ディプロマの日本語名は。 | 専門士 |
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日本においては、2年制及び3年制の専門学校(専修学校専門課程)卒業者に与えられるディプロマの日本標記は | 「専門士」称号 |
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ディプロマとは日本語で | 専門士 |
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国司は何と読む | こくし、くにのつかさ |
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古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏を何と呼ぶか? | 国司 |
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国司とはどこの国の官吏? | 日本 |
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古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏は? | 国司 |
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国司の「こくし」以外の読み方は | くにのつかさ |
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国司が司ったのは祭祀・行政・司法と何 | 軍事 |
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郡の官吏(郡司)は誰から任命された? | 在地の有力者、いわゆる旧豪族 |
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郡の官吏の初期の頃の任期は? | 6年 |
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任期は何年か? | 6年 |
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国司の任期は何年 | 6年 |
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鎌倉時代以前に国衙領を管理していたのは何という役職か。 | 国司 |
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国司が管理していた国衙領へ侵出していったのは? | 地頭 |
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鎌倉時代には何が存続した? | 国司 |
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国衙領へ侵出することで、徐々に国司の支配権を奪っていったのは誰 | 地頭 |
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室町時代、守護に付与された権限は何か。 | 半済給付権、使節遵行権 |
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室町時代になると、だれに大幅な権限された? | 守護 |
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守護に与えられた大幅な権限とは? | 半済給付権、使節遵行権など |
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守護に大幅な権限、例えば半済給付権、使節遵行権などが付与されたのはいつ | 室町時代 |
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江戸幕府成立以降は、大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で、家格に応じて国司名を称することが行われたことを何という? | 武家官位 |
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何幕府成立以降は、大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で、家格に応じて国司名を称することが行われたか? | 江戸 |
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大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で、家格に応じて国司名を称することが行われたのはいつ | 江戸幕府成立以降 |
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大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で行ったのは? | 家格に応じて国司名を称する |
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細川忠利は小倉藩からどこへ加増転封されたか。 | 熊本藩 |
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上国には介を置き中国には介を置かず下国には介掾は置かないなどの規則とは? | 大宝令・養老令 |
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国司の格や役職数も何に基づき変動したか? | 時勢 |
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なにや役職数も時勢に基づき変動したか | 国司の格 |
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上国には介を置き中国には介を置かず下国には介掾は置かないなどの規則が定められていたのは、どの法令か。 | 大宝令・養老令 |
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大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されている書物は? | 日本書紀 |
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何に大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されているか? | 日本書紀 |
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大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられると記録されている書物は | 日本書紀 |
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大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されている書物は | 日本書紀 |
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穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されている書物は? | 日本書紀 |
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大宝律令は西暦何年に制定されたか? | 701年 |
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大宝元年は西暦何年? | 701年 |
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大宝元年は西暦何年 | 701年 |
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大宝元年は何年 | 701年 |
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大宝律令は西暦何年に制定された? | 701年 |
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中央の官人が任命されて家族を連れて任国に赴くことが認められている役人のことは | 国司 |
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国司はどのような人が任命されるか | 中央の官人 |
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中央の官人が任命されて家族を連れて任国に赴くことが認められていた人は? | 国司 |
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国司は何処で政務を行なっているか | 国府に設けられた国衙の中にある国庁 |
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国司は通常はどこで政務を行っているか | 国府に設けられた国衙の中にある国庁 |
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国司は責任者である守が毎年1回国内の各郡を視察する義務をなんという? | 部内巡行 |
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通常国府に設けられた国衙の中にある国庁で政務を行っているのは? | 国司 |
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天長3年は西暦何年? | 826年 |
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親王任国の守となった親王は何と呼ばれていたか | 太守 |
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親王任国の制度が始まった年は? | 天長3年 |
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いつから親王任国の制度が始まったか | 平安時代の天長3年(826年) |
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一定の租税納入を果たすことが主要任務とされたのは誰? | 国司 |
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国司の主要任務は何か | 一定の租税納入 |
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土地を対象に租税賦課する体制とは? | 名体制 |
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律令制下では、人民一人ひとりに何税が課せられていたか | 租税 |
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国司(守、介、掾、目)の中の実際に現地赴任する最高責任者を何と呼ぶ? | 受領 |
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現地赴任する最高責任者は何と呼ばれたか | 受領 |
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国司(守、介、掾、目)の中の実際に現地赴任する最高責任者をなんと呼ぶようになった? | 受領 |
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一定の租税収入が確保されると、何が多数現れるようになったか | 任国へ赴任しない遥任国司 |
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右大臣藤原顕光が伊勢守に平維衡を推挙したのはいつ | 寛弘3年(1006年)1月28日 |
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右大臣藤原顕光が伊勢守に平維衡を推挙したのはいつか? | 寛弘3年(1006年)1月28日 |
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伊勢守に平維衡を推挙したのは誰か。 | 右大臣藤原顕光 |
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国司として任命を避けるのは | その国に住み所領を持つ者 |
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コントラバスとは何のこと | 楽器 |
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コントラバスとは別に、電気楽器として何ベースも存在する? | エレクトリック |
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通常のベースドラムの別名は | バスドラム |
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楽器の一つで、大きいものは | コントラバス |
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コントラバスに見られる、なで肩の形状、平らな裏板、4度調弦、弓の持ち方(ジャーマン式)といった特徴は何に由来するか | ヴィオラ・ダ・ガンバ属 |
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バイオリンと似た弦楽器は | チェロ |
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現在、ヴァイオリン属とヴィオラ・ダ・ガンバ属の中間に位置する楽器となっているのは? | コントラバス |
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チェロの何属の楽器 | ヴァイオリン属 |
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チェロの属は? | ヴァイオリン属 |
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いいから目線のゴール | コントラバス |
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は同じ記譜で同じ演奏法となるように、短7度低い音の出る移調楽器として書かれる | 独奏曲の楽譜 |
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コントラバスはソロチューニングのときどのように書かれるか?ら | 短7度低い音の出る移調楽器 |
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コントラバスの楽譜は、何チューニングで書かれるものが多いか。 | ソロ |
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コントラバスを立って演奏する場合、立てた楽器の横に何半身を添わせて足や腰で楽器を支えることが多いか。 | 左半身 |
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問い合わせてきたんです | コントラバス |
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コントラバスを弾く時に長い時間の時はどうするか? | 椅子を使うことも多い。 |
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長い曲を弾く時には椅子を使うことも多い | コントラバス |
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コントラバスでは、交響曲など、長い曲を弾く時には何を使うことも多いか。 | 椅子 |
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右手で弓を使って演奏する楽器は | コントラバス |
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コントラバスの弓を持つのは右?左? | 右手 |
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弓は2種類あるが、ジャーマン・ボウとあと何がある? | フレンチ・ボウ |
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弓は「ジャーマン・ボウ」と何の二種類が存在する | フレンチ・ボウ |
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コントラバスは何を使って演奏する? | 弓 |
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ジャーマン・ボウは現在でも何として購入出来る? | バロック・ボウ |
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同属であるヴィオラ・ダ・ガンバ属で使われる弓(現在でもバロック・ボウとして購入出来る)の形を残している弓を何という? | ジャーマン・ボウ |
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ジャーマン・ボウはどうやって持つ? | 毛箱を下から包み込むようにして持つ |
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弓の持ち方は? | 毛箱を下から包み込むようにして持つ。 |
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現代のヴァイオリンやヴィオラ、チェロの弓と同じ構造の弓である楽器は | コントラバス |
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フレンチ・ボウを考案したのは誰? | ジョバンニ・ボッテジーニ |